レースについて
○歴史
マーキュリーカップはOROパークが完成した翌年、1997年に創設された。当時、水沢初のダートグレード競走で話題を呼び、第2回はメイセイオペラが第1回覇者パリスナポレオン相手に7馬身差で圧勝。後に南部杯、フェブラリーステークス、帝王賞とG(Jpn)Ⅰを3勝する礎(いしずえ)的レースとなった。2017年からメイセイオペラ記念の副称が付記されたのは、以上の背景による。
第4回から舞台は盛岡ダート2000mへ替わり、現在に至っているが、オースミジェットは第3回を水沢、第4回を盛岡で連覇。同一レースでは非常に珍しい連覇を果たした。ほかに2連覇を達成したのはミツバ(第21回、第22回)、そしてマスターフェンサー(第24回、第25回)。
メイセイオペラのほかにマーキュリーC優勝後、G(Jpn)Ⅰを制したのは15回ゴルトブリッツ(帝王賞)、第21回、22回を連覇したミツバ(川崎記念)の2頭。また第19回は大井代表ユーロビートが圧勝。メイセイオペラ以来、史上2頭目の地方所属馬優勝の快挙を果たした。一方、岩手勢は2020年、ランガディアが3着、2022年もヴァケーションが3着に善戦した。

昨年優勝馬 クラウンプライド